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【コラム】スクエニ新IP『Project Prelude Rune』の過剰な「物語」は”もうひとつの”カウンターなのか?

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【コラム】スクエニ新IP『Project Prelude Rune』の過剰な「物語」は”もうひとつの”カウンターなのか?
【コラム】スクエニ新IP『Project Prelude Rune』の過剰な「物語」は”もうひとつの”カウンターなのか? 全 2 枚 拡大写真
スクウェア・エニックスが、新スタジオ「スタジオイストリア」とともに発表した新IP「Project Prelude Rune」。スタジオの公式サイトを見て、わたしはとても驚きました。おびただしい数の「物語」に。スタジオの名前自体にも込められた「物語」という言葉。それは多くの創作物に欠かせないものであり、ゲームにおいて、とりわけRPGにおいては極めて重要なものでした。

    笑顔、感動、幸福、「人生の応援歌」となる物語を届け続ける
    何事にも諦めない勇気を描いた物語
    新しい“幻想の物語”への船出
    懸命に生きる”正義”と世界の物語
    ―「スタジオイストリア」の意味について―
    ギリシャ語で「物語」を表現する言葉。設立にあたり企業そして組織として最も大切にしたい言葉でありお客様へ物語と新しい遊びの体験を提供し、製品を通じて「強いメッセージ」と 「人生の応援歌となる物語」を作り続ける職人集団としてありたいという想いを込めております。
    http://www.studioistolia.com/

重要なもの「でした」と過去形にしたのは、「物語」の凋落が叫ばれてからしばらく経つからです。ゲームにおいても例外ではありません。というよりもむしろ、ゲームが物語の凋落の象徴となっている、という言い方が正しいかもしれません。

■物語の凋落

最近では、押井守監督の映画『GARMWARS ガルム・ウォーズ』のインタビュー(LINE LIVE [外部リンク] )において、日本語版の宣伝コピーを担当した、シナリオライターの虚淵玄氏が、ゲームと物語の関係ついて言及しています。「ストーリーからキャラクターの時代へ」「ストーリーは遊び方を縛る枷になることもある」「幻想として提示してきた物語がいらなくなる」「ストーリーが不要なのではなくプレイヤーが勝手に作る」「こちらで組み上げたストーリーか、お客さんが勝手に作るストーリーがいいのかの競い合い」といったことが述べられています。

ゲーム体験においてストーリーが邪魔になることもある、というのはプレイヤーのみなさんも共感できる部分ではないでしょうか。それは、物語を提示する方法としてしばしば「ゲームプレイを中断して送られる、長大なカットシーンやダイアローグ」が用いられてきたことが原因のひとつです。様々な創作物で物語の意義が問われている中、とりわけゲームにおいては、物語の「内容」以上に、”物語る”「方法」が問題だといえます。

ストーリーは作り手に与えられるものから、プレイヤーが自ら組み立てていくものへ。それはキャラクターさえあれば成立する。押井監督は自らも熱心にプレイしている『ドラゴンクエストビルダーズ』に言及していました。

翻って「スタジオイストリア」です。物語を「届け続ける」「作り続ける」「提供する」ーーこれらの言葉は時代の流れと逆行するものです。作り手から遊び手へ、という方向がそこには明確にあります。

■「ファンタジー」に対するカウンター

ここで、アトラスが昨年末に発表(http://rpg.jp/)した、スタジオ・ゼロの「PROJECT Re FANTASY」に触れてみたいと思います。本プロジェクトに関してはまた別の機会に詳しくとりあげたいと思いますが、ひとつ掲げているのが「溢れかえる幻想世界をテーマにした作品群」に対しての「カウンター」となること。「新たな王道」として「新しい幻想」を生み出すこと。

これは公式に記載されてはいませんが、” Re FANTASY”というプロジェクト名には「ファンタジー」のreview(見直し)、reborn(再生)、reset(リセット)ーーそしてあるいは、revolution(革命)ーーが含意されていると思っています。

幻想世界から始まったRPGは、日本的な加工をほどこされながら、硬軟さまざなま様態で再生産され続けています。そういった加工品としての幻想世界、括弧つきの「ファンタジー」に対するカウンターが「PROJECT Re FANTASY」ではないか。

再生産されていく幻想世界において、物語は当然のように必要なものでした。しかし一方で、既視感とともに陳腐化していくことは避けられませんでした。黎明期から使い続けられている、(画面下部に会話を文字で示し、上部にキャラクターを配置する)俗にいう「紙芝居」ダイアローグ、造語による固有名詞を入れ替えただけの、お定まりの世界観。

ソーシャルRPGの台頭で、そうした物語はもはやRPGの主役にはなれませんでした。物語はむしろ、なんの報酬もないのにポチポチすることを強要される、邪魔な存在にすらなっていきました。大上段から提示される物語は、もはや〈Skip〉の最有力候補となっていました。

■「物語の凋落」に対するカウンター

こうした現状に対し「スタジオイストリア」における、過剰なほどの「物語」とそれを「提供」するという目標は一見、時代遅れのようにも見えます。しかしもしも、これが現状に対する対抗なのだとしたら。物語が失われた時代だからこそ、届けたい物語がある、という意思に基づいた「カウンター」なのだとしたら。「笑顔」「感動」「幸福」という、まるで会社の経営理念のようなフレーズが、シニカルな現状認識に対する「カウンター」なのだとしたら……。

筆者自身は、依然としてゲームにおける作家性や、ゲームでしか体験できない物語を信じています。ゲームに感動して涙したり、感銘を受けて人生に活かしたりといったことがあると思っています。しかしそのためには、陳腐化した物語表現から脱する必要がある、とも思っています。「長大なカットシーンや紙芝居ダイアローグ」が、ゲームにおいて必ずしも物語を提示するのに最適だとは思えないのです。

    日本の独特の文化から生み出されるコンテンツ表現を最大の強みにし、日本から世界へ送り出すファンタジーの世界。
    新アニメティックRPGを共に開発し、人と人との絆を大切にすることの出来る仲間を募集します。

人材募集に書かれているメッセージからは”JRPG”の雰囲気が溢れています。JRPGの持つ負の特性を振り払いつつ、日本らしいRPGを創ることができれば、そしてそれを世界へ送り出すことができれば。黄金時代のJRPGをゲーム性ごと再生産している現状に対する「カウンター」になりそうですが……。

プロジェクト名とコンセプトが示されただけで、本作について語るのは空論に過ぎません。でも、こうして好き勝手語れるというのは今だからこそ、でもあります。雨後のタケノコのように新規IPが生み出されてきたRPG全盛期に比べ、大型の新規IPが生まれること自体が珍しくなった現在。いろいろ書きましたが、わたしは「PROJECT Re FANTASY」も「Project Prelude Rune」も素直に応援したいと思います。

《Kako》

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