【RETRO51】24歳で『ファイヤープロレスリング』を作った男、SUDA51との遭遇 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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【RETRO51】24歳で『ファイヤープロレスリング』を作った男、SUDA51との遭遇

いま、「プロレス」と聞いてピンと来る人はどれくらいいるでしょうか。例え少ない反応だったとしても、「過去の遺産か?」と問われれば、「NO」と答えたいです。2014年、プロレス黄金期再来への準備はすでに整っている状態にあります。

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いま、「プロレス」と聞いてピンと来る人はどれくらいいるでしょうか。例え少ない反応だったとしても、「過去の遺産か?」と問われれば、「NO」と答えたいです。2014年、プロレス黄金期再来への準備はすでに整っている状態にあります。

1989年から「プロレス」と「ゲーム」を繋いできた、『ファイヤープロレスリング(以下、ファイプロ)』シリーズ。現在でも語り草となる初のストーリーモードを搭載したのが、1994年に発売された『スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL』でした。そのシナリオを手がけたのがゲームデザイナーの須田剛一(SUDA51)であるのはご存知の通り。

『ファイプロ』を離れてからも、次々生み出すクリエイティブな作品のなかに、必ずといっていいほどプロレス要素を忍ばせるSUDA51と話がしたい。すでにレトロゲームとなってしまった『ファイプロ』発売当時の時代感、そしてSUDA51にとってプロレスとは何だったのか。現在のプロレスが好きなライターがたっぷりとお話を伺ってきました。


プロレスを知らなくても手に取る『ファイプロ』だった


――今日は、須田さんがディレクターをされた『スーパーファイヤープロレスリングIII FINALBOUT (以下、3)』、ディレクターとシナリオを手がけられた『スーパーファイヤープロレスリング SPECIAL』のソフトとスーパーファミコン本体を用意しました。どちらからやりましょうか。

須田: 新品だ、すごい。『3』からやりましょう、『SPECIAL』は僕の色が強くて取材していただく機会も多いので。

――実際に触るのは久しぶりですか?

須田: 久しぶりですよ! もう、10年ぶりぐらいになりますかね。いやぁ、スーパーファミコンは起動が早くていいですね。(題字のタイプ音が響きタイトルが表示される)懐かしい……。音も。よし、対戦してみましょう。もちろん僕は、これですよ。


須田: (真っ先に冴刃 明※を選び)あっ! CPU戦になっていますね。リセットボタンは便利ですね、早い早い。ロゴもタイトルも飛ばせる。ちゃんと仕事してますね、よかった。さて、エキシビジョンで、シングルで。

――操作というのは覚えているものですか?

須田: どうですかね、久々なので。

<試合結果> 3分16秒
○冴刃 明(膝十字固め) vsスマッシャー・ガンガン・ギガス●


須田: キャプチュード※で決めたかった……。

※冴刃 明、1977年に新日本プロレスリングに入門した前田 日明にあたるキャラクター。
※前田 日明、192cm115kg。1978年8月25日、新潟・長岡市厚生会館、対山本小鉄でデビュー。須田氏が敬愛するレスラーで、変形のフロント・スープレックス「キャプチュード」の使い手。


――まずお聞きしたかったのが、この『3』が出た当時というのは少年たちがプロレスのゲームだとわかって購入していたんでしょうか?

須田: 僕のいたヒューマンという会社はスポーツゲームをたくさん作っていた会社で、当時「サッカー」「F1」「プロレス」のゲームでいったらナンバー1メーカーでした。そのヒューマンというブランドに後押しされて『ファイプロ』を購入して、そこからプロレスを好きになっていく流れがあったと思います。

――この質問をした理由というのが、私は2年前まで生身の人間から「プロレス」という言葉を聞いたことがなくて。ですから、テレビのテロップや文章のなかでしか見かけないファンタジーなコンテンツだったんです。

須田: プロレスがですか?

――はい。何故こんなにも接点がないのか興味があって調べたんです。


――現在のプロレス界では36歳の選手層が一番厚くて、そのあたりの年齢というのは活躍されているかたが非常に多いんです。そのレスラーたちが一番感受性豊かな時期というのは「闘魂三銃士」や「プロレス四天王」があって、そして「ワールドプロレスリング」最後の夕方放送の時期だったんです。

須田: うんうん、そっか、そっか、土曜日の夕方ですね。ちなみにいつ頃ですか?

――1993年の3月に深夜へ移行しました。

須田: 僕がちょうど『ファイプロ』を作っていた時期と重なりますね。

――そうなんです。9歳(小学校3年生)ぐらいでプロレスを楽しめると考えると、現在30歳というのが独自でプロレスを好きになれるボーダーライン。30歳より下はよほどキッカケを掴めないと観るチャンスもなかなかありません。

須田: なるほど。いまはそういう時代になっているんですね。『ファイプロ』の頃というのは、プロレスがゴールデンタイムで放送されている手前、すでに定着してファンが出来上がっている状態でした。テレビ放送を見ていたファンがいよいよビデオゲームでプロレスを遊べる時代が来て、プロレスのゲームがたくさん出たなかでもPCエンジンの『ファイプロ』が一番面白かったですね。プロレスに忠実な作品だったんです。やはり、そういう部分で特別なプロレスゲームになっていったのではないでしょうか。


『ファイプロ』が与えたドラマが今も生き続けています

――先ほどの話と繋がるんですが、新日本プロレス所属の中邑真輔選手(34)がデビュー当時から『ファイプロ』登場を目標にされていたのはご存知ですか?

須田: そうなんですよ! 耳には入っています。

――この「週刊プロレス(No.1665)」には中邑選手がプロレスラーになるまでの話が書かれていて、小学生時代に友だちとのコミュニケーションツールとしてプロレスゲームを楽しんでいたエピソードがあるんです。


須田: うわー、本当に書いてある!

――スター選手のルーツにプロレスゲームがあるというのは、最近ファンになった人から見ても当時の影響力がすごかったんだなと感じずにはいられなくて。

須田: 中邑選手が特に『ファイプロ』のファンだというのは風の噂で聞いていました。実際にはお会いしたことがなくて。というのも僕はプロレスラーのかたとは、ほとんど会ったことがないんですよ。

――えっ!ものすごく意外ですね。

須田: 僕は『SPECIAL』で開発から卒業して、後輩にバトンタッチしました。彼らの開発時代にはたくさんのプロレスラーと実際に会って、プレイベートで食事する程仲良くなったりもしていたみたいです。僕らの時代というのは、『ファイプロ』は実名らしき匿名といいますか、ライセンスが整備されていない非常にグレーゾーンの時代のなかで制作をしていたんです。

――須田さんが制作なさった期間というのはどれくらいなんでしょうか。

須田: 2年ですね。燃え尽きました。僕はプロレスを嫌いにならないと思ったんですけど、ヒューマンに入って1年で『3』を作って、そのあとすぐに『SPECIAL』に着手して。完成した時には二度と作りたくないなと思ったのを覚えていますね。


須田: 『SPECIAL』では、僕のやりたかった『ファイプロ』が出来たという達成感がありましたし、趣味やファンとしてプロレスのことを四六時中考えるのが楽しかったのが仕事になっていたんです。ファンに応えるために仕事として仕上げなければいけないところから、普通のファンに帰りたいと思っての卒業でした。

――いまだに『SPECIAL』のエンディングが語り草になっていますが、「27歳は死ぬ数字」という結末にかわりはないですか?

須田: はい。イアン・カーティス、カート・コバーンにジャニス・ジョップリン、「The 27 Club」というぐらいにロックスターたちは27歳に自殺をしていて、そこに僕は主人公を投影したんですね。シナリオに関しては、誰かに書いてもらおうと思ったんですけど、プロレスに詳しい人もシナリオを書けるスタッフが当時のプランニング課にいなかったので、それなら自分で書くしかないと衝動的に書きました。『SPECIAL』は、僕がプロレスファンとして見てきたことや感じたこととか、想いみたいなものを言葉で詰め込んでいったものですね。


――シナリオ監修にはライターの斎藤文彦さんが参加されていますが、どのへんを気にされていましたか。

須田: 当時もアメリカンプロレスといえば斎藤さんだったので、アメリカンプロレスらしさを重点的にチェックしてもらいました。あと、最後の最後まで僕はリック・フレアーをラスボスにしていたんですよ。でも、斎藤さんからはアメリカンプロレスのラスボスは絶対ハルク・ホーガンだとずっと言われていて。「絶対、WWFだから」と譲らなかったんです。僕はどうしてもリック・フレアーが最強だということでNWAにしたかった。まあ、どうでもいい話なんですけど、大事な部分でしたね(笑)。

――最強だと考えるリック・フレアーをシナリオやゲームのなかで倒した時の気分って、制作していてどうでしたか。

須田: いやぁ、いいキャラができたんじゃないかなと。斎藤さんの意見はアメプロを知っているからこそだったと思うんですけど、自分はプロレスを見てきたそのままの感情で、リック・フレアー最強伝説を詰め込めました。もちろんラスボスであるディック・スレンダーは、ゲームのことを考えて圧倒的なヒールになるように誇張してますけどね。


「もう二度とプロレスを観にいくことはないと思うんですよ」

――そもそも須田さんがプロレスにハマったキッカケというのは?

須田: 初代タイガーマスクです。それまでまったくプロレスに興味がなかったんですよ。ゴールデンタイムでやっているのを見ていても薄暗い雰囲気だったりして、子どもの世界というよりは大人の世界のような雰囲気がありました。たまに見た時にアブドーラ・ザ・ブッチャーやザ・シークが流血していたりとか……。なんとなくですが賭博場の匂いもちょっとして、ある種いかがわしさも含めた大人の娯楽だと思って、観るのが怖かったんです。


――わっ、私と同じです。怖いものだと。

須田: そうです。でも、タイガーマスクがデビューする時に小学校中が噂になってですね。プロレスを観ない僕でも「タイガーマスクが出るなら」と観たら、それはもう一瞬で惚れ込んで。それまで特撮やアニメも好きでしたが、一気にプロレスがすべてのような状態になりました。そこからはアメリカンプロレスにも興味が湧いてきて、もう、テリー・ファンクの華やかさといったら! アメリカのショービニズムみたいなものを背負って出てくる佇まいがカッコよくて、さらにハマっていきました。

――最近はどうですか?

須田: たぶん、プロレスをライブで観にいくことはないと思うんですよ。テレビ中継があれば観ていますが。

――すごく興味深い部分です、詳しくお話願えますか。

須田: その、僕はいろんな団体を見てきて、足繁く会場に通っていました。そして、前田日明選手率いるRINGSに行き着きました。日本の団体UWFが分裂して、その時に僕は前田選手に着いて行ったんですね。RINGSを応援して、RINGSの興行を見て。ファンを超えたサポーターとして、お布施じゃないですけど都心の大会は必ず通っていて、そして最後に横浜文化体育館で解散してしまったんです。

――好きな団体が解散……。

須田: その後、PRIDEや総合格闘技ブームが爆発してもともと格闘技も好きだったので総合の魅力にも引き込まれましたが、仕事がらみでライブに行けるという話もいくらでもあったんですけど、行けなかった。帰る場所がなくなってしまったというか、RINGSを失ってしまった空白みたいなものが埋まらないんですよね。これから先、試合を観に行くとなるとそれなりの覚悟がいると思います。

――空白がありながらも、須田さんの作るゲームには必ずといっていいほどプロレス要素を盛り込んでいるじゃないですか。それは一体、何故なんでしょう。

須田: それは、僕のルーツがプロレスにあるからですね。僕がこの業界に入れたのも『ファイプロ』を作るために拾ってもらったというのが一番のキッカケでしたから。


『ファイプロ』不在とも言えるいま、思うことは

――須田さんはプロレスやゲームのインタビューを受けると、必ず「プロレスのゲームを作ってください」と言われると思うんですけど。

須田: 言われます。プロレスオンリーのゲームを作るのはチャンスがないと難しいですが、プロレスラーという人たちを僕の作るゲームに登場させるのはやり続けていくと思います。人間としての魅力もそうなんですけど、プロレスラーのインサイドな部分を見せる映画が10年前すごく盛んに制作されて。

――ミッキー・ロークの「レスラー」とか。

須田: あれは、決定的でしたね。彼らが身体が壊れてでも、試合に上がるために生き抜いていく。それが人としての魅力を倍増させていると思いますね。それを知った上でプロレスラーをリスペクトしていきたいし、実際そういうファンが大勢いる、その距離感がいいですね。そうそう、小橋建太選手の引退試合観ました?


――チケットが取れなくて新宿のライブビューイングで観たんですよ。もう、号泣しました。

須田:僕も引退は知っていて、家で生中継を観ました。あれは僕も泣きましたね。最後3カウント入った瞬間にドバーッと涙が溢れてきて。それまではいろんな試合があって「懐かしいな」と思いながら見ていたんですが、だんだん感情がこみ上げてきて。膝痛いのにムーンサルトやったじゃないですか! いやあ、よかったですよね。

――映画館なのに「小橋!小橋!」と3拍子でかけ声が贈られていたぐらいです。

須田: あれは、プロレスファンをやっててよかったなとすごく感じました。何故かというと引退試合というのは、なかなかいい形で迎えられないじゃないですか。亡くなってしまったり、なんとなくフェードアウトしてしまったり。トップレスラーとして第一線でやってきた人があれだけ華々しくみんなに祝福されて、しかも試合自体もすごくいい試合でフィニッシュするなんて最高のレスラーとしての幕引き。あれはすごく嬉しかったです。三沢光晴選手にも橋本真也選手にもそれができなかったので、小橋選手の引退をみんなで送ってあげられてよかったなと思って。僕らの世代はだいたい泣いてしまったでしょうね。
すべてのプロレスファンが小橋選手にご褒美を頂いたと思いますね。

――小橋選手の引退興行は、こうして世代が変わっていくというのをすごく感じる興行でした。世代が変わるとプロレスのビジュアルや内容もガラッと変わるのも不思議。だからその時代感をギュッと圧縮している『ファイプロ』というソフトがあるのは、いまのプロレスファンとしていいなあと思いますね。

須田: そうですね。僕が制作したあともナンバリングは続いていますが、その時代時代を切り取っていったと思います。『SPECIAL』が面白かった部分というのは、発売する1年前、ちょうどUFCが始まった頃だったんですよ。それをすぐゲームに取りこんでいるので、実際のプロレスを観て原体験としてものづくりに取り込めたというのはよかったです。いい時代にファイプロ作れたなと思いますね。

――最後に改めて、須田さんにとって、ご自身で制作された『ファイプロ』というのは何だったのか教えてください。


須田: プロレスレトロゲームのひとつの金字塔を立てたと思います。作れてよかった。関われてよかった。当時のすべての団体がここに集まっていて、実現できなかった交流戦ができることが魅力ですね。プロレスの歴史的にはこの後に交流戦もありましたが、脳内でしかできなかった戦いが1本のゲームのなかですべてできてしまう。試合も作れるし選手も作れる。プロレスファンの夢を叶える装置だったと思います。

――夢を叶える装置。今日のお話で須田さんとプロレス、そして『ファイプロ』の関係性がわかった気がします。楽しいお話をありがとうございました。

須田: 卒業しないで、これからもプロレスを好きでいてください。

――はい!

* * * * *

本インタビュー記事の制作中、『ファイヤープロレスリング』シリーズの生みの親として知られる増田雅人氏が逝去されました。故人のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。

SUDA51より増田雅人氏への追悼文

ファイプロの生みの親、増田さんが亡くなられたと突然聞かされた。
すぐにあの増田さんだと頭の中で繋がらなかったが、
繋がった瞬間にグルグルと思い出が蘇った。
大きな声とチャーミングな笑顔で新人の僕に声を掛けてくれた。
「プロレス好きなの?」
ファイプロを託された僕の席にチョコチョコを顔を出してくれて、
どうやってファイプロが生まれファイプロが何であるかを伝承された。
伝承内容は全く憶えていないが、
増田さんの熱量の高すぎる言葉がファイプロの情熱そのものだった。
プロレスの持つ熱気と興奮と感動をデータを超えた先に持って行く、
それがファイプロだった。
マスター近くになると、必ず深夜のデバッグに顔を出して、
朝方まで一緒に遊んだ事を深く深く思い出す。
笑って怒ってガチ勝負になって空気が悪くなってまた爆笑して喜んで、
ファイプロ開発のどこかに増田さんは居てくれた。
新人の僕には、立場も存在も雲の上の増田さんがフラッと地上に降りてきたと
いつも感じていた。今も昔も僕にとってファイプロの神様だった。
その増田さんが本当の神様になってしまった。
天国で大好きなトミーボンバーとタッグを組んで、
コーナーポストに登って「オー! オー! オー!」と叫んでくださいね。

ファイプロを生み出してくれてありがとうございました。

須田剛一

※文中の誤字を訂正しました。コメントでのご指摘ありがとうございます。
《石橋 加奈子》
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