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【特集】世界最低の映画監督ウーヴェ・ボル引退記念―酷評されたゲーム映画群を振り返る

去る2016年10月21日、カナダの新聞メディア「Metro」トロント版は、ウーヴェ・ボルという偉大なドイツ人映画監督が引退すると報じました。今記事では、引退を発表したボル氏の輝かしい映画人生を紐解き、多くの反響を呼んだゲームの映画化作品を振り返ります。

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去る2016年10月21日、カナダの新聞メディア「Metro」トロント版は、ウーヴェ・ボルという偉大なドイツ人映画監督が引退すると報じました。ボル氏は、ゲームを原作とした数々の映画作品を監督した人物で、ハリウッドの著名な賞で2つの最優秀賞を授与されている人物。そんなゲームに造詣が深い監督だけあり、世界でも(悪い意味で)高名なゲーム作品にキャラクターとしても登場しています。今記事では、引退を発表したボル氏の(ある意味)輝かしい映画人生を紐解き、多くの反響(と反感)を呼んだゲームの映画化作品を振り返ります。

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◆ウーヴェ・ボル伝説、その軌跡

ボル氏が監督としてドイツでメジャーデビューしたのは、若干26歳のころ。1991年に『German Fried Movie』という(『The Kentucky Fried Movie』をパクった)オリジナルの不条理コメディービデオ作品を監督。2000年になると、サイコスリラーテレビ作品『Sanctimony(邦題:シアトル猟奇殺人捜査)』で監督・脚本を務め、アメリカ進出を果たしました。

そして2003年、カナダ・ドイツ合作アクション映画『Heart of America』(2002年作品)を経て、セガの大ヒットアーケードシューティングゲームを映画化した『House of the Dead(ハウス・オブ・ザ・デッド)』で、ついにハリウッド映画デビューを果たすのです。(正しくはドイツ・カナダ・アメリカ合作映画。制作はボルのドイツの会社、ロケ地は全てカナダ)

ハリウッドデビューを果たしたボル監督でしたが、『House of the Dead』の評価は評論家・観客ともに地の底を這うがごとく低く、ゲームファンからも叩かれてしまいます。2度とゲーム作品に関わらないでほしいという各方面の声もなんのその、次作には根強いファンも多い名作ホラーアドベンチャーゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク』の映画化に取り組みます。主人公の名前以外原作ゲームの要素が皆無であった映画『アローン・イン・ザ・ダーク』は、その内容・技術的なものも含めた評価として、裏アカデミー賞として毎年酷い映画を選ぶ「ゴールデンラズベリー賞」にノミネートすることに。映画レビューサイトRotten Tometoesでの評価は、100%中1%の支持(これ以下の評価がないため、実質的にもっと低い可能性あり)。この頃になると、「ウーヴェ・ボル=クソ映画監督」という認識が大きく広がっていきます。しかしボル氏はめげません。ネガティブな意見に関してはFワードを取り入れた言葉で丁寧に応対していきます。

そして2006年、それなりに予算を投じたハリウッド製ファンタジー映画『In the Name of the King: A Dungeon Siege Tale(邦題:デス・リベンジ)』を監督します。この作品は、人気ゲームシリーズ『ダンジョン・シージ』の映画化で、売れっ子俳優ジェイソン・ステイサムを主人公に迎えたもの。さすがにここまでお膳立てした映画で失敗しないのではないか、という映画ファンの心配も杞憂に終わり、壮大な大事故ファンタジー映画としてハリウッド映画史に名を残すことになりました。

ボル氏はその後も、年間2~3本という恐ろしいペースで映画を製作。その酷い映画を大量生産するさまは、アメリカ映画史上最低の監督と言われたエド・ウッドの再来であるとささやかれました。過激な発言も相まって、映画ファンのおもちゃと化したボル氏ですが、その映画の制作スピードや撮影現場を円滑に回すテクニックは一部映画関係者の間で重宝され、大御所監督を大きく上回るようなペースで商業映画を請け負っていくのです。

次ページでは、ボル監督が手掛けたゲーム原作映画作品をご紹介。
《Daisuke Sato》
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